仙台納骨堂の真言宗成田山国分寺インスタグラム

一緒で安心な納骨堂

早逝した息子をひとり寂しく埋葬するのは忍びないので、「納骨堂」を選びました

茂さん(72歳) 仙台市在住
故人 茂さんの御子息(次男)/ 行年38歳
 25歳で難病を発症したことで一流の料理人になる夢を断念、治療しながら飲食店の調理の仕事を続けられていた御次男。両親の献身的な支えにもかかわらず、38歳で亡くなりました。独身だった御次男が寂しい思いをしないように、また長期に維持管理するための経済性からも検討して選んだのが「真言宗成田山国分寺」でした。納骨堂に奥様とともに月命日ごとにお参する中で「なぜこんなに早く逝ってしまったのか」という切ない思いも少しずつ癒されているようです。

お墓がなく、納めるところがない

真言宗成田山国分寺との出会いは?
 医者から余命一ケ月と言われて、その時は気も動転してしまいましたが、しばらくして気持ちが落ちついて来て現実を見つめ、何をどの様にしなければならないのかを地元の葬儀社さんに相談しました。「お墓がなく、納めるところがない」と言うと「こういう所もありますよ」と教えて頂いたのです。見学には来ませんでしたが、価格が手ごろなのが魅力でした。

入壇料もない。離檀料もない。

気軽に、気楽にお墓参りが出来る。
 真言宗成田山国分寺は他の寺と違って寄付の徴収とか、入壇料もない。しきたりというか、そういう気遣いが要らないです。また、離壇料もない。私たちの長男夫婦の考えもあるでしょうから、先のことはわからないわけです。もしかして遺骨を移すかもしれないので、そのことを聞いたら「問題なく移れますよ」と言われました。それで、とても身軽な感じがして、入る時も出る時も気楽という点がとても気に入りました。
38歳で亡くなられたのですから無念でしたね。
 「余命1ヶ月です」と宣告されたときに、あと5年、せめてあと半年でも生きて欲しいと思う一方で、ある程度覚悟はしておかなければと思いました。まず葬式はどうしようかと家内と話しました。長寿を全うして逝くのと違い、若くして自分の望みや思いを残していくわけですから家族だけで静かに見送ってあげたらよいのではないかと言うのが私の考えだったのです。それで、電話帳を見て問い合わせをしたのが、地元の葬儀社さんです。親身にいろいろと相談に乗っていただきました。

お墓の引越しも見据え納骨堂へ

納骨堂の印象は?
 下見はしないで決めましたので、葬儀が終わってから来たのがはじめてです。第一印象は、コンパクトで、私たちにちょうどよいと思いました。お墓のように草取りの心配がないのがいいですね。それと、私たちは将来仙台を離れる可能性もあります。その時にお墓があれば、けじめとして「始末」をしなければなりませんが、そういうことを考えなくてもよいわけです。
 埋葬許可書をもらったら、お骨取り出して納骨堂の中をきれいにして、お返しするだけでよいのです。お墓ならそう簡単にはいきません。墓石を解体しなければならなくなります。子どもが仙台にいて必ずお墓を継いでくれるのであれば、お墓もよいと思いますが、私たちの場合は何ら保障がないのです。そう考えると、納骨堂はいいなあと思いますね。

子や孫のことも考え、たどりついた最善の方法

納骨堂のよいところは何ですか?
 私の実家の墓参に行くと、お花は腐っているし、花立ての筒は水が腐ってドロドロになっている。お菓子はカラスがつついて散乱して、惨憺たるものです。おまけに、墓石が地震で倒れたりする心配もあります。それに、田舎の人は歩いて行ける距離にお墓があるからよいですが、仙台市の墓地を買ったら根白石や葛岡です。自分たちが行かなければ誰もお参りしてくれない。
 こちらにお世話になっているといつも誰かがお参りのために出入りしています。そうしたことがとてもありがたいです。お墓は維持管理が問題です。自分のことだけでなく、子や孫のことも考えないと後で大変なことになると思います。とくに忘れてならないのが「始末」。例えば跡継ぎが絶えた時、子どもたちが戻る可能性のない時、自分の代で終わる時はお寺にお願しなければならないでしょう。そうした時、納骨堂なら、始末も簡単だと思います。

ありがたい御縁でつながった「真言宗成田山国分寺」

息子さんにどのような言葉をかけていますか?
 お盆、お彼岸、月命日にもお参りに来ています。次男には「だんだん身体がいうことを聞かなくなったよ」と言うこともありますが、これからも毎月お参りに来るつもりです。
 家内とは、次男のことはあまり話さないですね。話したい気持ちもありますが、いろいろ思い出して辛くなるので。口に出せない分、寝る時に思い出すこともあり、こちらにうかがうと「何でこんなに早く」とつい口に出すことも。家内も同じようにまだ割り切れていないと思います。そろそろ仕事を辞めて「女房孝行」しようとも思いますが、この年になっても元気に働けるというのは、次男の分も私が働くようになっているのかと思ったりもするのです。次男は思うように仕事ができなかったですからね。そんな次男の分までも元気で長生きしようと思います。

一流の料理人になる夢が、潰えたあの日

生前、次男さんはどんな方でしたか?
 私は群馬生まれ。転勤で仙台に来て、社宅では手狭になったので家を買いました。二人の息子があり、次男はスイミングスクールに通うなど活発な子で、中学時代は陸上と水泳をしていました。一見おとなしい感じですが、内心は負けず嫌いで、芯がしっかりしていました。味覚が敏感で、おいしいものに目がなく、高校卒業後宮城県調理師専門学校に進学しました。
調理師をめざしていたのですね。
 そうです。調理師学校を卒業して、仙台城址にある青葉城で調理師として働いて、5年たったころ、突然倒れて、病院に運ばれたのです。その頃、私と転勤で家内と東京に住んでいました。次男が昏睡状態だったため、私たちの連絡先がわからず、電話をもらったのは2日後。「容体が危ないのですぐ来てください」と言うのであわてて仙台に戻ってきました。すると、医者からは「重症急性膵炎で非常に危険な状態です」と言われました。その後、次男は会社を辞めて、飲食店でアルバイトをするようになったのです。
その後お加減はいかがでしたか?
 回復はしたのですが、その後も何度も入退院しました。それでアルバイトを転々とするしかなくて、外には出さないようにしていましたが、なんとなく気落ちした様子が伝わりました。内臓もだんだん弱っているようで、油っこいものはダメ。飲酒、刺激物、肉もダメと制限がいろいろとあったので「もう一人暮らしはさせられない」ということで家内が東京から戻って一緒に暮すようになり、その後私も仙台に戻ってきたのです。次男は調子のよい時はバイクや車にも乗っていましたし、手先が器用なので、自分で棚や引出しを作ったり彫刻をしたりしていました。

家族全員で食べた次男の正月料理

忘れられない思い出は?
 次男が亡くなった年のお正月、長男家族が子供達を連れて来ていたのですが、その時次男が自分で魚を買ってきて、刺身や鍋料理などいっぱい作って、ごちそうしてくれたのです。本当は暮れからずっと体調が悪かったのですが、どうしても皆に食べさせたくて最後のチカラを振り絞ったのでしょう。それが一番の思い出です。今にして思えば、あの時立っているのがやっとだったのではないかなあと思います。皆が「美味しい、美味しい」と言うので次男もその時だけは少しお酒も飲んで、本当に嬉しそうに笑っていました。

現実問題としての葬儀社の手配

その後の容体は?
 長男家族たちが帰った途端、具合が悪くなり、心配なので家内が付き添って病院に行きました。すると病院で「あと1ヵ月の命です」と言われたと家内は電話口で泣いていました。そのまま入院して、2ヵ月たったころは、少しよくなり、退院して別な病院で療養しようかと言う話をしていたのです。そうするとまた具合が悪くなり、家内も力が抜けてしまったようです。
 母親というのはお腹を痛めて生んだ分、息子への思いが深いのでしょうね。がっくりきて、「見ていて何もしてあげられない」と言っていました。私も代われるものなら代わってやりたかったです。
 1ヵ月もてば、もうひと月、あと1ヵ月もつかもしれないと期待しましたが、だんだん食欲がなくなり、トイレに行くのも大変になるなどジワジワと悪くなっている様子が感じ取れました。長く生きてほしいと願う一方、現実的なことをしておかなければとも思い、「そう遠くないのかもれないので」と葬儀屋さんに連絡したのです。

最期の言葉は「お母さん、身体に気をつけて」

最期のお別れは?
 亡くなる前々日、私が一人で息子のところへ見舞に行ったのです。すると次男が「お母さん今日こないの」と聞くのです。「お母さんは疲れているから今日は来ないよ」と私が言うと、「じゃ今日は終日こないね」と言うのです。「今日はこないよ、何かあるの?」と聞くと「ううん」とだけ言って、何か話したいようでもありました。そんな会話をした、次の日の夕方、病院から電話が来て「急変した」と言われ、病室に駆けつけたら、次男は意識不明でした。それでも輸血して意識が戻ったので、「いったん帰るよ」と言ったら、次男が家内に向かって「お母さん、身体に気をつけて」と言ったのです。
 これが息子の最後の言葉でした。そしたら朝方、電話が来て「危篤です」と言うので、行きましたら、名前呼んでももう反応がなくて、それっきりでした。「お母さん身体に気をつけて」が息子の最期の言葉になりました。

仙台の地域密着型、地元の葬儀社を選んで

葬儀社さんとの出会いは?
 次男が亡くなってすぐに地元の葬儀社さんに電話してきてもらいました。そして、通夜から葬儀までのことを真言宗成田山国分寺さんにお願いすることにしたのです。葬儀社さんはタウンページを見て連絡したのですが、家内は前から知っていて「地域密着型の葬儀社さんだよ」と言っていました。担当者がはじめから最後まで同じで、非常に親身で、面倒見がよく、本当にきめこまかく対応してもらい、助かりました。その御縁で、真言宗成田山国分寺さんをご紹介いただき、本当によかったと思います。

仙台納骨堂に関するお問合せは下記にて承ります。

真言宗成田山国分寺
住所   :〒980-0845
       宮城県仙台市青葉区荒巻字青葉33–2
電話番号 :(022)225–8640
FAX  :(022)225–8655
タクシー代は成田山で負担します。 納骨堂見学のため仙台市地下鉄東西線川内駅の北1出入口からタクシーで来山下さい。片道の料金を真言宗成田山国分寺で負担いたしますのでタクシー領収書を御持参ください。